近所の野良猫に餌をやりに来る人たちに思う事
うちの周りには野良猫が5匹くらい棲みついている。
暑い日中はほとんど居ないが、夕方くらいになるとアパートの階段や植木の周り、駐車場、向かいの家の敷地などでうろうろし始める。
すると間もなくして、餌やりおばさんが来る。餌やりおばさんはチャリンコでどこからか現れる。猫に何か話しかけながら、小さい発泡スチロールの皿の上に置き餌をしていく。
彼女はアパートの住人と鉢合わせても、猫に夢中なのか基本的に気づかないフリをしている。私は、彼女が心のどこかで自分は悪い事をしているという小さな罪悪感があるので住人を頑なに無視するのだと思っている。だがその罪悪感は、「私は可哀想な猫ちゃんに餌をやっている」という捻じ曲がった正義感によって容易くかき消されているのだと思う。
餌をやりに来るのはそのおばさんだけではない。
猫を探してずっと人ん家の前をうろうろしているおじさんもいる。夜になり暗くなってからわざわざ車で来て餌をやりに来る人までいる。1人や2人ではない。餌やりに来た人同士で立ち話までしている。一通の道路なので狭く、うちの駐車スペースの向かいなので、よその車が停まっていると駐車場に停める時に非常に邪魔になる。そんな状況なのに、こちらを一瞥もせずに餌をやりながら立ち話をしている人もいるので、もはや呆れてしまう。
そして時々、猫が食べなかった餌が道路に散らばっている。仕舞いにはうちの車の目の前に、餌の皿を置きっぱなしにしていることもある。これにはさすがに堪忍袋の尾が切れかけた。
野良猫に餌をやることは明らかな迷惑行為だ。別に猫は嫌いじゃないが、餌だけやりにくる人たちは無責任なので嫌いだ。
猫が可愛いなら保護して飼えばいい。だが、飼うとなると命を預かる責任が生じるのでそれはやりたくないのだろう。もしかしたら、近所の人が放し飼いにしているのかもしれないが、それも責任を放棄しているのと一緒なのでどのみち迷惑行為に変わりない。
「それくらい大目に見てよ」「別にいいじゃん」などと言う人、ならば一度ここに住んでみてほしい。毎日以下のような光景を目にすることになる。道路にバラバラに散らばったキャットフード、吐瀉物のような餌、それをつつく鳥、干からびて転がっている練り物、風に飛ばされてひっくり返った発泡スチロールの皿、いつも猫の糞尿の臭いがする道路。夕方頃、餌がもらえると期待して毎度じっと見つめてくる猫。
一番ゾッとしたのは、その野良猫たちの中に「子猫」がいることだ。
子猫がいるということは、去勢・不妊手術をしていない野良猫がいるということだ。餌やりおばはんから餌をもらって、栄養を蓄えたから繁殖したのかもしれない。
猫はぬいぐるみではなく命ある動物なので、排泄はするし繁殖もするし死ぬ。考えるまでもないが、野良猫に餌をやるという行為に大変重い責任があるということを、多分あの人たちは分かっていない。目の前の可愛いものに夢中なだけ。餌を食べてくれるのが嬉しいだけ。自分が嬉しくなることだけを優先し、近隣住民の迷惑など顧みることもない。避妊手術とか面倒で費用のかかることは、誰かがやってくれると思っている。
ふと、「もしかしてこの人たち寂しいのかな」と思ったことがある。満たされていたら、野良猫に喜びを求めることなんてないだろうと思ったから。生き物に対して愛情があるなら、安易に餌をやればどうなるか想像できたんじゃないかとも思う。あとは単に、想像力が育っていないだけか。
私は小さい頃、親に「動物に餌やっちゃダメ。ついて来ちゃうから」と言われたことがあり、飼う気もないのに与えるなと教えられた。平成初期の東北のド田舎では動物とエンカウントする機会が多かったためか、時々そう言われることがあった。その教えは今でも生きているので、どんなに可愛い野良猫がいても餌はやれない。私を見る度に餌を求められたら、居た堪れない気持ちになるのは想像に難くない。もしかして都会の人間は小さい頃にそういう事を教わらないのかな?とも思ったが、どうなんだろう。
今後も彼らは餌やりをやめないだろうから、被害が拡大した時は役所や保健所に連絡することも考えている。とは言え私も動物に辛い経験はしてほしくないと思っているので、できるならやりたくない。でも誰かがやらないといけないんだよな、とも思う。行動を起こす前にもう少しリサーチが必要そう。